歌麗なる明け暮れを・・・

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zoom RSS 星はなんでも知っている : 平尾昌晃

<<   作成日時 : 2017/07/30 13:11   >>

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 関東は太陽がでる暑い日が梅雨明け前に長く続いていましたが、19日に梅雨明け宣言があって4〜5日も経たずに曇りの日がほぼ1週間続いています。気温も低めでホッとしています。
 さて、この時期は朝夕の花への水遣りは欠かせませんが、先日の夕方に玄関のポーチのタイル張りの床の角に小さな花が咲いているのを見つけました。土がほとんどないこんな所によくもとビックリしました。そしてこの花はトレニアだとすぐに気付きました。
なぜなら過去に2回ブログで紹介しましたが、門柱にかけたプランターに見慣れない葉があったので別のプラタアーに移植したらトレニアの花が沢山咲き出したという事。そして、もう一回は同じく門柱の上部の5mm程度のコンクリの隙間から生えてきたという事で、その生命力の強さに感激したという体験があるからです。
これからの夏をいつまで咲き続けるのか、頑張って欲しいな〜と思います。
画像
       トレニアの花が3輪咲きました (2017/07/29)
先週に歌手で作曲家の平尾昌晃が79歳で逝去しました。ここに、ご冥福を祈りいたします。
平尾昌晃は1937年12月24日に現在の東京都新宿区生まれで、神奈川県の茅ヶ崎で育ちました。
彼の幼少期には音楽に対する天性の才能を見せたこんな逸話があります。(2017年2月8日スポーツ報知より)
「小学3年生のとき、自宅に来ていたアメリカ将校から貰ったLPを聴き衝撃を覚え、それからはジャズのLPを何度も何度も繰り返し聴いていた。そんな時期、鵠沼海岸で夏に開かれていた『のど自慢』大会で司会者から『坊や、この前もいたね。ステージに上がらない』と誘われた。当時11歳。度胸があったのか躊躇もなく壇上に上がると『アコーディオンを弾かれると歌えないので、なしにしてくれませんか』とリクエストをして今でいうアカペラで歌った。曲はLPに収録されていたジャズナンバー『奥様お手をどうぞ』。散々聴いて耳コピーできているから英語で歌ったらお客がみんな驚いていた。鐘が3つ鳴って合格!」と・・・・。
やがて、ジャズ教室に通い、ウエスタンの人気バンドに入って活動し、1957年の19歳の時に、銀座のジャズ喫茶「テネシー」に出演していた際に渡辺プロにスカウトされ、石原裕次郎主演の「嵐を呼ぶ男」に出演。翌1958年1月にカナダのグループが唄った「リトル・ダーリン(Little Darling)」をカバーしてソロ・デビューしました。
2月には第一回「ウエスタン・カーニバル」に出演し、山下敬二郎、ミッキー・カーチスと共に「ロカビリー三人男」として爆発的な人気を得ました。
多くの外国曲のカバー曲を唄っていましたが、1958年7月にはオリジナル・ナンバーである「星は何でも知っている」をリリース。翌年には自身で作詞・作曲して唄う「ミヨチャン」を発表し、2曲共に100万枚を売り上げる大ヒットとなりました。
ロカビリー・ブームが去った1965年頃からは作曲活動にシフトしていき、布施明に「霧の摩周湖」「恋」を、梓みちよに提供した「渚のセニョリーナ」などがヒットし、「霧の摩周湖」、「渚のセニョリーナ」では、第9回日本レコード大賞作曲賞を受賞し、作曲家としての地位を築きました。しかし、1968年12月に結核を患い入院しての長期間療養を余儀なくされ、肋骨を6本取り除く大手術を受けて1年後の1969年11月30日に退院。平尾正晃は、「この療養期間が作曲家としての活動の原点である」と事あるごとに語ったそうです。
1970年代に入ると、ソフトな演歌から穏やかなポップス調まで様々なジャンルのヒット曲を五木ひろし、布施明、小柳ルミ子など沢山の歌手に提供してきて、2003年には紫綬褒章を受章しました。
その後は元気に作曲家としての音楽活動のみならず、テレビの「ものまねバトル」の審査員、チャリティ・ゴルフの企画など幅広く活躍していましたが、2015年頃に肺がんを患い、闘病中の身となり、時を超えて約50年後の2017年7月21日にやはり肺の病気となって他界しました。
 さて、この「星はなんでも知っている」ですが、この曲が流行った頃は高校生で軽音楽部でカントリー&ウエスタン・バンドをやっていた頃でしたので,沢山のウェスタン楽曲が聴くことが出来るということで「ウエスタン・カーニバル」は憧れの的でした。
そして、カントリー調のこの歌の歌詞の2番に出てくる
♪〜「木ぼりの人形」にぎって眠る
と唄う「木ぼりの人形」というと、カントリー・ソングの有名な曲でカントリー全盛時の大スター「ハンク・ウィリアムス(Hank Williams)」が作詞・作曲して唄った名曲である「カウ・ライジャ(Kaw Liga)」を思い起こさせます。つまり、「カウ・ライジャ(Kaw Liga)」というのは木彫りのインデアン人形で、その人形が恋をする…という ちょっと可愛い内容の歌で、曲調も似ているのです。
そして、何よりも多感な高校生の頃の自分が心をときめかせたのは、この「星はなんでも知っている」のモチーフとなって歌詞とセリフに出てくる「キッス」でした。
この歌を聴いてから数年後にドキドキしながら初めてのキッスを経験したので、この歌は忘れることの出来ない歌となりました。
そして、平尾昌晃の初めてのヒット曲ですので、この歌を追悼の意味でアップします。
なお、今までに平尾昌晃が作曲の以下の4曲をアップしています。
愛はまにあいますか : 西田あい
アメリカ橋 : 山川豊
恋 : 布施 明
銀座のタンポポ : キム・ランヒ
< 星はなんでも知っている > 歌手:平尾昌晃 歌詞    
 作詞:水島哲 作曲:津々美洋 1958年7月リリース

つぶやき:「いや〜日本の政治が大混乱だな〜 閉会中審査の加計学園問題では官邸の複数の参考人は『会った記憶がない』、また『言った記憶がない』との連発で、結局は予想した通りの水掛け論!!!
しかし、驚いたのは安倍首相が腹心の友という長年の友人の加計氏との関係についての安倍首相の答弁だな〜 2013年の第二次安倍政権発足以来、首相は14度も食事やゴルフで加計氏と接触していたのに、加計学園の獣医学部の新設について知ったのは、特区の事業者に決まった今年の1月20日と述べたのだ〜 そんなに親しい間柄で14度も会っていて、国民誰しもが『それは、ないだろう〜! 』と思ったぞ〜 過去の国会の答弁と整合性がとれないもので、記憶がないに収まらず、今度は『過去の記憶を都合のよいように塗り替える 』としか思えない。
今回の閉会中審査では国民に判ってもらえるように『丁寧に説明する』と言っていたが、口調が丁寧であって事の内容については全く自分たちの都合の良いように対応しているだけで、今回の2日間の審査では国民の疑惑は晴れるどころか、さらに強まった感じだな〜 
そして、日報データの報告問題では防衛省で特別防衛監察が行われたが、結局は身内の調査であって案の定の玉虫色の結論で、稲田防衛大臣の隠蔽に対しての関与があったのかどうかはあいまいのままとなったぞ〜 そして引責辞任となったが、これで終えてはいけないぞ〜 
ま〜、今の内閣では森友問題に始まって結局のところ、一言で言えば『シャキッとしない、隠蔽内閣』に終始しているな〜!
『記憶にない』、『記録もない』ということが日本と言う国の中枢である内閣・官邸で、そして国会でまかり通るとは、日本の政治の質と品性は地に落ちたな〜 そして、代表する野党である民進党では幹事長が辞任し、それを追うように党首が辞任と・・・。日本の国は一体大丈夫?北海道沖に北朝鮮のICBMがまたまた発射されて落下したと、日本の政治の混乱をあざ笑うようだな〜」

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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
平尾さん亡くなりましたね、平尾さんはまだお若いと言う印象がありましたが、でも79歳になられていたんですね、私も72歳になりましたので、当然かもしれませんが。
テレビでみるとお若く見えるので、そんな年齢とは思えなかったですね。
我々の好きな歌を作られた方たちが、最近次々と亡くなられるので、自分もそんな年代なのかと実感してしまいます、いつまでも元気でありたいとは思いますが。

私も彼の歌では、この歌が一番に浮かんで来ます、のほほ〜んさんは高校生だったようですが、私は中学一年の時でした、そろそろ青春時代の入口に差しかかっていましたので、この歌は魅力的な歌で昼休みにでもよく鼻歌で口ずさんでいました。
でもそれから60年あまりになりますが、セリフが入っているので、好きな歌でしたが、一度も歌う事はありませんでした。
でも追悼の意味を込めて、苦手なセリフを入れて初めて歌いました。
のほほ〜んさんはセリフも決めていますね、キーも原曲よりも高いのではないですか、まだまだお声が若々しいですね、羨ましいです。
今度喫茶に行ったら彼の曲をメーンに歌ってみようと思っています、彼の歌9曲くらいは歌えますので。

三の君さんは「グッバイ・マイラブ」をアップされましたね、彼女の選曲にはいつも驚かされますね。
平尾さんの作られた素敵な歌をこれからも機会があれば歌っていきましょう。

想い出の歌をありがとうございました。



アキのいちご
2017/07/30 14:41
こんばんは!
ホント平尾昌晃さんが逝ってしまわれたと耳にした時、寂しく思いました。平尾さんと言えば、チコが中学を卒業した年に「星は何でも…」が流行っていたと…
チコは「ミヨちゃん」の歌が大好きでよく口ずさんでいました。そして2008年の年にグランプリに出場させて貰った時ゲストに新人の北川大介さんが来られ「平尾先生の弟子です」と挨拶され、平尾先生の曲戴きましたと言って「ミヨちゃん」やあの頃の歌を聞かせて貰いました。懐かしい思い出です。以来チコ、大ちゃんのファンに!
ありがとうございました。
チコ
2017/07/31 00:16
アキのいちごさん、こんにちは!
いや〜、イチゴさんもこの歌を追悼曲としてアップされていたんですね〜
拝聴しました!!
セリフが苦手とおっしゃっていますが、以前にも書きましたがトンでもございません!
あの『瞼の母』での名セリフは忘れることは出来ません。
当方は沢山の曲があって何の曲で彼を追悼しようと悩んだのです。結局歌手として一番輝いていた頃のこの歌を、子人的な思い出があったので、この「星はなんでも知っている」に決めました。
そうですね〜 当方は この曲を含めてまだ5曲ですので、もう少し唄うことにしましょう。
いつもお聴き頂き、コメントをありがとうございます。
アキのいちごさんへ from のほほ〜ん
2017/08/01 16:58
チコさん、こんにちは!
平尾昌晃は残念でしたね〜 チコさんも青春時代の入り口にいたのですね!
「ミヨちゃん」も大変に流行りましたよね〜 当方も今でも口ずさめます!
そうですか北川大介がオスキですか〜 当方は彼の曲をひとうもアップしていません。
機会があったラチャレンジしてみたいと思います。
いつもお聴き頂き、コメントをありがとうございます。
チコさんへ from  のほほ〜ん
2017/08/01 17:07
こんにちは!のほほ〜んさん^^

コメント置いたとばかり〜〜〜失礼しました!
平尾さんといえば、この曲でしょうね♪
懐かしいですね^^
私はTVドラマの「幌馬車隊」のテーマソング
忘れられません。
日本人離れした歌声でした♪
yun
2017/08/06 15:52
YUNさん、こんばんは!
この「星はなんでも知っている」は記事に書いたようにとても思いで深い曲でした〜
さて、当方はTVドラマ「幌馬車隊」は記憶にありません。
そのテーマソングを平尾昌晃が唄ったのですね〜 聴けば思い出すのかも知れませんが・・・・。
いや〜、また昭和の作曲家が逝ってしまいました〜 寂しいですね!
いつもお聴き頂き、コメントをありがとうございます。
YUNさんへ from のほほ〜ん
2017/08/07 21:01
ご無沙汰です。
のほほ〜んさんの部屋を忙しぶりっこして、3週間もお邪魔してなかったのかと…(汗々)
やっと第一ピークを乗り切り、ほっとしています。
平尾昌晃さんもとうとう旅立たれてしまいました。
残念です。
歌手として作曲家として、大きな功績を遺した方。
それにしてもこの曲が、のほほ〜んさんのファーストキスと相まって忘れられないとの記事、ほほえましく、見逃しませんでした。
台詞も素敵なのほほ〜んさんらしい歌唱、気持ちよくお聞きしました。
三の君
2017/08/25 18:21
三の君さん、こんにちは!
いや〜、第一ピークを乗り越えたとのことで、良かったですね!
お疲れ様でした。しかし、今夏関東地方は日照時間が少なかったので、野菜、果物、コメ、花などが悪影響を受けたようですが、そちらは大丈夫だったのでしょうか?
こちらはやはりタノシミニしていた夏のハイビスカスがやはり今一つ冴えないです!
はい、ファーストキスは大学2年生の頃の12月のことでした〜 その後が顔を見合わせるのがものずご〜く恥ずかしかったのを強烈に覚えています!!!今は昔ですね!
平尾正晃の作曲した歌には、いつもシャレタ感じがしてスキでしたが、残念ですね。
いつもお聴き頂き、コメントをありがとうございます。
三の君さんへ from  のほほ〜ん
2017/08/29 11:38

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